2011年5月31日火曜日

学問

 新学期が始まり2ヶ月が過ぎました。
たった2ヶ月ですが、色々な物事が進んでいる。
3.11日震災は、人々の価値観やそれに対する社会、大学、個人等の取り組み・関わり方など
大きく変えているのかもしれません。

今、自分が大学の教壇に立って、何ができるのか。
ここ数年、実験室で朝から晩まで実験に明け暮れていたことは何の意味があったのか。

最近、福沢諭吉の「学問のすすめ」現代語訳を読みました。
実は、初めてこの本を読みましたが、心打たれる内容で、学問について再考することができました。

情報化社会、専門化する社会、研究の中で、これからは物事を判断する力がとくに必要になるかもしれません。

 著書の中で、

「信じる、疑うということについては、取捨選択のための判断力が必要なのだ。学問というのは、
 この判断力を確立するためにあるのではないだろうか」

この本は、実学としての学問、そして自分がやらなければいけないことを多く示してくれています。
ポスドク時代の3年間、失敗だらけの時間もありましたが、実験の考え方、進め方、実験方法など、
多くのことを体得したことが実学の意味なのかもしれません。

 

2011年5月11日水曜日

心に火をつける

 大学ので講義もようやく2週目となった。
これまで学会発表などで研究のプレゼンはこなしてきたが、学生を相手にした「授業」は全く別物でした。
同じ授業を3コマ続けて行う講義にでも、その場のクラスの雰囲気やモチベーションにより全然違ってきます。
 あらためて授業の奥深さを実感させられますし、やはり学び続けなければ教えることは出来ないと感じています。

 教育に関する本を何冊か読んできましたが、昔読んだ、西澤潤一先生の「私の独創教育論」を読み返してみました。
研究者としての心がまえだけではなく、教育者としての考え方がともて心に打たれる内容でした。

 「教育とは心に火をつけることである」

 学生の知的好奇心の扉を開くためには、先ずは自分が探究心をもっていなければならいと。
授業を通して教育について考えることができた日であった。